2026年2月、飯能大通り商店…
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特集・連載


2026年2月、飯能大通り商店街にオープンした「本とビール・カモシカ」。店主の伊藤ケンジが開業までのおよそ1年間の日々を綴った「開業日記」です。
僕を本屋にしてくれた本
2024年の8月、5年ぶりに埼玉県飯能市に戻ってきました。
この5年間は佐賀県に単身赴任という形で住み、新規ブルワリーを立ち上げて運営していたのですが、さすがにいつまでも妻と離れているわけにもいきません。

懐かしい飯能・美杉台の並木道。帰ってきました
会社を辞めて戻ったので、無職です。
少しの貯えを取り崩しながら、毎日何をしようかぼんやりと考えていました。もちろん最初はクラフトビールのブルワーを続けるつもりでいたんです。
九州のほうでは、いくつか声をかけてもらっていたので、関東でも新規立ち上げの話とか、どこかのブルワリーを手伝ってほしいとかの話があるだろう、くらいに思っていました。
実際、少しはあったのです。友人のブルワリーがぜひにといい条件で誘ってくれたりもして、予定地まで見に行ったりもしました。
でも、どうしても心が動かないのです。うーん、と迷ってしまい、思い切れない。
なんでかな?と思いつつ、ぶらっと本屋へ行きました。飯能に唯一残るデパート、丸広百貨店の中にある丸善です。
そこで手に取ったのが、出版されたばかりの、内田樹著『図書館には人がいないほうがいい』でした。

世界でただ一人の内田樹研究家、朴東燮氏による企画
僕は内田先生(合気道多田塾の稽古を通じてご縁をいただいているので、僕は先生と呼んでます)の本はほとんど読んでいたので、収められた文章も大半は既読でした。
ですが、このタイミングで手に取ったのは、今の僕にとって何か意味があるはずだと思いました(内田先生は繰り返しそう書かれています)。
本というのは、読んで知識を得るためだけのものではない。
読まずしてそこにあるだけでも、人に影響を与えるものだ。
そんなことがどの文章にも通底していて、あらためて自分が、いかに本に、本屋に救われてきたかを思い出しました。
自分の無力さと肥大する自意識に苦しんで、いつも苛立っていた10代の僕。
虚しい仕事に嫌気がさして、逃げ出したいと思っていた20代の僕。
一流のクリエイターに混ざって、アイデアを絞り出すために足掻いていた30代の僕。
フリーランスになって自由を手にしたけれど、家と車と安定した収入を失った40代の僕。
そしてビールの醸造家になって、2つのブルワリーの立ち上げに関わってから飯能に戻ってきて、またゼロに戻った50代の今の僕。
いつだって本の並んだ新刊書店にいる時間が一番幸せで、安心できる場所だったのです。
ただそれは同時に、自分が読める本、読んできた本がいかに少ないか、読むべき本がいかに多いのかを突きつけられて絶望する場所でもありました。
人生の残りの時間で読み切れるわけがない。そんな後悔の苦さを味わいながら、それでもまだ少しは読めるかな、という微かな希望を持つ場所でした。
この本の中では、鳥取県湯梨浜町の「汽水空港」や、荏原中延の「隣町珈琲」、奈良県東吉野の「ルチャ・リブロ」といった場所が紹介されていました。
これらは書店というよりは、共有地(コモン)としての存在のようです。
地域のコミュニティとしての空間であり、そこには本が必要で、本もまた共有物なんです。これは図書館だけでなく、広義では新刊書店、古書店も含んでいいと思うのです。
誰もが自由に入ることができる、本というものに触れられる。美味しいコーヒーやビールがある。そんな場所。
突然、自分もそんな場所がほしいと思いました。
じゃあ、つくろう。
本屋になろう。
漠然と、しかしはっきりとそう思いました。
…以上が、本屋になろうと思ったきっかけです。単純ですね。
しかし。いくらかかるのか、どうやって食べていくのか、そもそも本屋にはどうやったらなれるのか。さっぱりわかりません。
それを調べるのもまた、本でした。
図書館に通い、本屋を巡り、本を読む。そして書いて発信する。まずはそこから始めようと思いました。
古書店になるには古物商の許可が必要。古書組合に入会するとよい。
新刊書店なら大手取次と契約する、神田村と呼ばれる中小取次を使う、出版社と直取引する、などの仕入れ方法がある。
ブックカフェにするなら飲食店としての許可が必要(これは手続きした経験があるのでわかります)。
まだまだわからないことだらけですが、なんとかなるでしょう。そこから始まった手探りの日々を、これからも綴っていきます。
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