自然とまちのバランスがよい飯能…
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特集・連載
幻の飯能焼 100年ぶりの復活
奥武蔵の山里にある武州飯能窯。その歴史はさかのぼること1830年、飯能焼は50年にわたり、関東代表の焼きものとして知れ渡りました。その後陶磁器におされ、廃窯になったのは明治中期。
長いときを経て、昭和50年に岐阜県土岐市から移住した虎澤英雄さんが、100年ぶりの復活をとげます。
飯能焼の伝統を活かしながら、新しい作風にも挑戦し、35年前には「飯能ブルー」と呼ばれる翠青磁を中心に製作。国内外でさまざまな賞を受賞された功労者でした。
2022年2月、家族に見守れながら惜しくもこの世を去られた虎澤さん(享年86歳)。現在は、娘のますみさんが陶芸家として飯能窯を引き継いでいます。
「愛」がテーマ
この日は月に1、2回ある窯焼きが終わり、窯から作品を出す瞬間を見学させていただきました。窯の温度を2日間かけて徐々に1205度まで上げ、焼き上がった作品たちをゆっくり窯から出していきます。
「1年の中でも冬の作品は、透明度が増すので焼きぐあいがいいですね。火の調整は難しいですが、自分で焼けるようになって、やっと陶芸家と言えるかな」
レストランで使う器や、記念品として製作されたマグカップを一つひとつていねいに取り出しながら、仕分けをするますみさん。
「今日は奇跡の日!」と作品全体の焼きぐあいを見て、感激されていました。父であり師でもあった虎澤さんが、ますみさんのそばで見守っていたのかもしれないと感じます。
飯能焼の特徴でもあるイッチン描きを見せてもらいました。白い土を液状にし、窯焼き前の作品に絵を描いていきます。
ススキの絵柄が多い飯能焼は、かつて虎澤さんが移住を決意したときに、一面のススキで覆われていた飯能の土地をモチーフに描かれています。
現在、ますみさんの代では「ハート」や「植物」をモチーフに、ポップな絵柄が多くなりました。
「大きなテーマで『愛』を表現していて、父から松竹梅も受け継ぎながら個性を出していきたいと思っています。イッチン描きは白一色でしたが、最近はピンクで描くこともありますね」
大きなお皿に「LOVE」と描かれた作品を眺めると、愛情いっぱいにますみさんを育てられた虎澤さんの親子愛がいかに強かったか、ひしひしと伝わってきます。
自然とセットで飯能窯に触れてもらいたい
ますみさんに飯能の魅力をお聞きしました。
「環境がよいのが自慢です。父はよく『自然が先生だ』と言っていました。いつも渓流の音を聞きながら製作し、自然の造形物から学ぶことがたくさんあります。ぜひギャラリーに来て、作品を直接手で触れてもらいたいです」
飯能窯では、ショールームやギャラリーも併設。ティールームではコーヒーを味わうこともできます。
陶芸教室も実施。飯能の山里ならではの環境で、世界に一つだけの焼きものをつくることができます。四季折々の風景を楽しみながらの創作活動はいかがでしょうか。
写真:赤井恒平
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記事を書いた人:
飯塚 まりな
イラストレーター兼ライター(主に人物取材を好む)。最近は愛車で過ごす車中ランチが生活の一部。夢は発展途上国で医療や教育に関わる日本人の取材。
2021年に働く30代男女の仕事や生活についてインタビューした『〜西武沿線上で探した〜近所の30代「今」何してる?』を全国の天狼院書店発売(2022年1月まで)。
- 『ちいき新聞』レポーター(2020年〜)
- 『ショッパー』レポーター(2019年〜)
- 介護福祉士
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