美杉台ニュータウンは、1丁目か…
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特集・連載
はじめまして、椛沢(かばさわ)と申します。東京都立川市で生まれ、幼少期を八王子市で過ごし、思春期を所沢市で迎え、甘い甘い新婚時代を入間市で過ごし、人生の晩年を飯能で迎えることを決意し、飯能へ移住してから7年の月日が経ちました。
遠足で通るまち~飯能~
みなさんは「飯能」と、聞いて一番はじめに思い浮かべることは何ですか? 所沢育ちのぼくは「遠足で通るまち」というイメージしかありませんでした。「遠足のまち」ではなく「遠足で通るまち」というのがポイントです。通り過ぎていくだけなので、移住するまでは正直、こんなにもステキなまちとは思いませんでした。
人の温かさやどこか懐かしさを感じる南高麗地区
移住するきっかけとなったのは、関わる方々の温かさです。職場が南高麗地区というところにあって、職場のスタッフをはじめ、地域の方々や担当する利用者さんがまるで息子や孫のように接してくれるのです。
疲れた顔をしていると「ジュースでも飲んで元気を出しな!」と優しい笑顔で差し入れが。「子どもたちに食べさせてあげな」と、山盛りのお野菜が届くことも。
飯能駅から車で10分ほどの場所にある南高麗は、山や畑に囲まれており、夏にはホタルが飛び交い、冬の夜空には星座がきれいに見えるほど。田舎の新潟が大好きな私にとって、どこか懐かしさを感じる人情や風景に「南高麗に住みたい!」と思わせるのに、それほど時間を要しませんでした。
南高麗に住みたいんです!
そして8年前のある日『青天を衝け』の渋沢栄一のように「胸がぐるぐるしてくらぁ」と、気持ちが抑えられなくなったぼくは、南高麗地区に住んでいる職場のスタッフに「南高麗に住みたいんです!」と駆け寄りました。しかし、スタッフはそれはまるで上様(徳川慶喜)かのような凛とした態度でこう言ったのです。
「ここは市街化調整区域だから無理だと思うよ」
「シガイカチョウセイクイキ、、、?」
突如唱えられた「シガイカチョウセイクイキ」という魔法により、ぼくの前にはベギラマ程度の魔法では突破できないほどの、高く厚い壁が立ちはだかるのでした(つづく)。
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