特集・連載

ライター:川鍋 友宏

2021.10.01

32歳のニュータウン(第1回)美杉台4丁目

32歳のニュータウン
(第1回)美杉台4丁目

美杉台ニュータウンは、1丁目から7丁目まである。なぜ連載初回のタイトルが「4丁目」なのかといえば、このニュータウンの第一期分譲が4丁目から開始されたから(正確には3丁目の物件も第一期分譲に含まれていた)。

Google mapsを見ると、4丁目(上の地図の赤線で囲まれた部分)は美杉台の中心部にあることがわかる。街は中心部から外に向かって開発され、広がっていった。32年前、平成元年にこのうちの一角、105棟が分譲され、この街の歴史は始まった。

前回の記事を見てもらうとわかる通り、山林を造成していた当時、現在はニュータウン行きの路線バスが走る飯能駅までの大通りはまだ無く、山を迂回するようにあった在来の生活道路を使って、ニュータウンの物件見学バスが運行されていたそうだ。

第一期分譲でここに住んだ人たちは「将来ここに道路が、あそこにスーパーマーケットができますよ」という街づくりプランだけを頼りに、山の中の造成地の土地や家を買い、引っ越す決断をした人たちであり、相当なチャレンジャーだと思う。

そんなチャレンジャーで、今も美杉台に住む、吉田精孝・カヨご夫妻、魚谷宗史・月香ご夫妻にお話しを伺うことができた。


街開き当時の懐かしい資料を手にインタビューに答えてくださった、吉田夫妻(左)と魚谷夫妻(右)

何もなかった街開き前

吉田カヨさん:引っ越してきた当時はまだ飯能駅南口は工事中でね、近くにスーパーもなくて長靴をはいて山を降りて街まで買い物にいったのよ。

魚谷月香さん:生協の宅配も来てくれないから、まず組合員を集めるところから始めたわね。

吉田カヨさん:近所の奥さんたちの買い物を、誰かが代表で車を出して街のスーパーまで行ったこともあったね。

吉田精孝さん:最初はそんなだったけれど、公団が計画した街だから、都市ガス、分流式下水道でインフラはシッカリしてた。まだバブル経済で日本中が高揚していた時代だし、街の発展に不安はなかったよ。

そして、平成元年3月29日、街びらき記念式典が行われた。これに合わせて同日、駅前通り/飯能大橋が開通、美杉台ショッピングセンターが開店し、翌週には美杉台小学校が開校。一気に街らしくなった。

魚谷宗史さん:まだ殆どの土地が更地だったけれど、公園施設の整備は早かった。とくにテニスコートがきれいでね。当時、社員旅行で青梅の温泉に泊まってここでテニスをする、なんていう人たちがいて、きまって「ここはリゾートなんですか?」って聞かれたね(笑)。


街開きから半年、1989年10月の航空写真

スポ少、フェスタが街づくりの基礎に

魚谷宗史さん:娘が小学生だったから、街と一緒に新しくできた美杉台小学校に転入したよ。美杉台の新住人の子供と、矢颪(やおろし)や前ヶ貫(まえがぬき)地区の地元の子どもたちが一緒になって学校が始まったんだ。自分はスポーツ少年団(ミニバスケット)のコーチを始めたんだけど、美杉台の保護者はみな外人部隊(笑)みたいな感じでまとまりがなくて、最初は地元の親御さんたちのリードにだいぶ助けられたね。

吉田精孝さん:ここの大人たちがまとまったのは、最初の美杉台フェスタ(毎年秋に開催される住民企画によるお祭り。コロナの影響により2020,2021年は中止)がキッカケだね。4丁目は焼きそば屋台を出してね。力仕事で男手が必要だから、そこで協力したことで普段は仕事で家にいない男性同士も身近になったよ。

奥様ネットワークは「お宅拝見」で

吉田カヨさん:この辺は大手ハウスメーカーがモデルハウスを建てて売ったから、みな凝った間取りでね。そのうち誰が言い出したか、近所の奥さんたちで「お宅拝見ツアー」が始まって、新しい家が建つたびにツアーよ(笑)。だから奥さん同士はどんどん繋がりが広くなったわね。


当時、住宅・都市整備公団が発行していた冊子「美杉台NEWS Vol.9」より抜粋
※掲載にあたり、独立行政法人都市再生機構に許可をいただきました。

美杉台NEWSに掲載された4丁目の当時の町並みと同じアングルで撮影した現在。32年経った今でも、外観を維持したままきれいにリフォームされ、丁寧に使われているのが分かる。4丁目の物件は総じて「長生き」な印象。

マスクをしたままお答えいただく、慌ただしいインタビューだったが、真新しい街が出来上がる当時の様子を教えていただくことができた。両ご夫妻に感謝いたします。

ところで、最後に興味深い話を伺った。4丁目の第一期分譲の105軒、分譲時からずっと住み続けている人は半数程度しか残っていないそうだ。32年も経っているのだから当たり前のことかもしれない。

まったく失礼なことだが、13年前、僕がこの街に転居して来たとき、住民の年齢層が高いことが少々不安だった。年配のみなさんは分譲当時からここに住み続けているのだと勘違いしていて、そういった方々がこれから年齢を理由に街を去り、空き家が増え、ゴーストタウンのようになってしまったらどうしよう…と。

しかし実際には、空き家が出ても比較的すぐに新しい人が来る。子育て世代も多いが、どういうわけかシニア移住者にも人気があるらしい。つまり、今いるシニア世代の多くは、分譲当初とは違う意味で覚悟と希望を持って、この山の上のニュータウンに住もうと決めたチャレンジャーなのだ。

4丁目の街並みが、ただ年老いていく街とはちがう、ちょっとキラキラした感じがするのは、そういう理由なのかもしれない。

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記事を書いた人:
川鍋 友宏

Bookmark利用者から、本業のIT知識を請われ運営側(プロボノ)へ。しかしなぜかアウトドア事業を担当することに。二児の父、美杉台在住。

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