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書いた人:清水 麻由

2021.12.30

飯能クリエイターファイル(No.7)画家・福本ちかさん

飯能クリエイターファイル(No.7)
画家・福本ちかさん

飯能在住の画家・福本ちかさん。飯能のまつりや草花をモチーフにした手ぬぐいのデザイナーとして、知っている方も多いのではないでしょうか。

今年の秋、福本さんがある大きな油絵作品を制作しているという噂を聞き、AKAI Factoryのアトリエを訪ねました。

「はじめまして。よろしくお願いします」パーテーションで区切られた専用の制作スペースからひょっこりと現れたベリーショートが魅力的な福本さん。その深みをたたえた眼差しにドキドキしつつ、早速お話を伺いました。

故郷に思う原風景の大切さ

「出身は北海道の平取(びらとり)町、いわゆるアイヌの里と呼ばれているところです」

平取町の大自然に囲まれて育った福本さん、学生時代は東京の美術大学に通い、共同シャワー付きの安アパートを2部屋借りて油絵を描いていたそう。

絵を描き続けるためにその後もアルバイトをしながら制作をしていましたが「楽で適当でいい仕事なんてないですよね」と言うとおり、仕事も絵も、どちらも一生懸命やろうと打ち込んだ結果、身体を壊してしまいます。

そうして一度、故郷である平取町へと戻ることに。

「大人になってからの故郷は見えるものが全然違って。あらためて味わい直しました」

帰郷した福本さんは、地元の博物館でアイヌ文化を保全する調査のお手伝いを4年ほど経験します。調査内容の一つに、二風谷(ニブタニ)ダムに沈んでしまった村(コタン)のアイヌの人々から話を伺い、内容をまとめる聴き取り調査がありました。聴き取りを重ねる中で強く感じたのは「人にとっての原風景の大切さ」でした。

「帰る場所、心のよりどころになる場所を奪われてきた、帰りたいのに帰れない人を想うと涙が出る」と福本さんは言います。それはその後、震災やコロナ禍でも感じることに。

「自分を含めたモノとモノの距離とか、モノの存在の意味とかを身体が覚えていて、それを思い出せなくなると里帰りをしていました」

自分の感覚を調整するためにその後も里帰りが必要だったという福本さん。それもコロナ禍で2年くらいそのサイクルが途絶えてしまいます。しかし、絵を描くことで同じように整った状態になれる、とAKAI Factoryのアトリエにて本格的に制作を再開することに。

新たな挑戦ー中学校へ贈る絵を描くー

飯能に住み始めてすぐの頃から入会していた囃子連のメンバーの方から、飯能市立西中学校の50周年記念事業の一環として、福本さんに絵を描いて欲しいという依頼を受けます。

福本さんのご長男も通う西中。その玄関の正面に飾るための大きな絵を描くというものでした。

最初は「自分は飯能の人間ではないから、地元の人ほど想いもないし…」と思っていた福本さんですが、記念事業実行委員の方からは「西中生の保護者であることがよい」「好きに描いてもらっていい」と言われ、それならとやらせてもらうことに。

「それでも、地元の人の愛にはかなわないだろうと、アンケートをとってもらったんです」

生徒や保護者、教員の気持ちや印象、イメージする色などを受け取るうちに、飯能に住んでいる感覚や、子どもたちに託す思いは、自分とそれほど変わらないことがわかります。

温かくて強くて優しいもの。それは福本さんの長年の制作のテーマともつながっていました。

「50年、ってよく考えたら重くて、最初は最近描いている感じで描いていて、それはそれでとても好きだったんだけど、もっと深くしたくなって途中で壊して。何回も泣きたくなりながら描きました(笑)」

でき上がった絵のタイトルは「Sprouting」(萌芽)。葛藤を抱えつつ、命が萌え出ずる瞬間をイメージして描かれています。「子どもたちは毎日何気なく絵の前を通るだけだと思いますが、何かしら心の片隅に印象として残ってくれたらうれしいですね」

生命誕生、そして飯能について思うこと

福本さんが飯能へ移住したきっかけはなんだったのでしょうか。

「ずっと北海道で絵を描いていたいと思っていたのですが、親のつくった家族の構成員としてではない『自分の家族』がいいなって」

本当はもっと田舎がよかったそうなのですが、ご主人が通勤しやすいこと、隣家との間隔が福本さんの許容範囲だったことから「絵も画材も全部置いて、ゼロから」という気持ちで飯能暮らしがスタート。

現在は中学生、小学生、幼稚園児3人のお子さんがいるお母さんでもあります。

出産をする前後で、作品は変わりましたか?という質問に対して「『答えここに得たり!』ぐらいの感動があった」と福本さん。生命のエネルギーに対しての敬意が制作の発端になっているという福本さんにとって出産体験は衝撃的でした。

「何をあんなに求めていたかって、これだったのかもしれないと思うほど。自分の意識なんて関係なく本能が支配していて、身体が勝手に規則正しく変化していく。それに感動と驚きがありました。『ああ、この肉体は借り物なんだ』と。別の乗り物に乗っている感じでしたね」

お子さんが生まれたことで、飯能に対する気持ちにも変化がありました。それは子どもたちにとっての故郷である飯能をずっと好きでいてもらいたい、帰る場所として残っていてほしいという想い。

そしてそんな想いを込めて「工房 門福」として制作したのが、飯能手ぬぐいです。もともと手ぬぐいが好きだった福本さん。

「手土産になるようなご当地グッズが自分でも欲しかったのもありますし、息の長いデザインで版を残しておけば、誰かがつくろうと思えばずっとつくっていけるようにできるなと」

そこまでを考えての手ぬぐいです。誰かが飯能に来て手ぬぐいを買って帰った後に、その人の生活にちらっと飯能がみえたらうれしいという想いも。年に1個か2個ずつデザインを増やしていく予定で、来年の干支「寅柄」も絶賛販売中です。

「生き抜こうよ!」というメッセージを込めて

最後に今後の展望もお聞きしました。

「子どもたちに絵を教えたいとはずっと思っていて。学校などできっちり、きれいに描くことを求められて美術がつまらないと思っている子どもたちに、真逆でOKだよって言ってあげたい。創造する力、生きる力に焦点を当てられたらいいですね」

「あとは、ちゃんといいお母さんでいたい。そして描けなくなるまで描きたい。嘘のないように」

終始真っ直ぐな言葉で取材に応えてくれた福本さん。作品を通して伝え続ける生命の力を、見る人がそれぞれの原風景と共に感じられる機会がこれからどんどん増えていくのではないでしょうか。

写真:赤井恒平/福本ちか

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清水 麻由

飯能周辺のイベントに出没しては、消しゴムはんこなどを彫る人。造形屋。自由人の夫&息子とゆるくて愉快な飯能ライフを送っています(飯能市内で広いおうち探してます)。

  • アート・クラフト屋イワオカフェ
  • くらしの修繕センター・イワオヤ
  • ウッドターニング(木工旋盤)修行中

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