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ライター:赤井 恒平

2025.02.10

飯能クリエイターファイル(No.24)髙倉匠弦楽器製作工房・髙倉匠さん

飯能クリエイターファイル(No.24)
髙倉匠弦楽器製作工房・髙倉匠さん

以前から「飯能河原の近くに、ヴァイオリンのすごい人がいるらしい」というふんわりとした噂を耳にしていました。

情報があやふや過ぎることもあり「凄腕の演奏者」と思っていたのですが、今回の取材で「ヴァイオリンを製作するすごい人」ということが判明したのです。

飯能河原のほど近く「髙倉匠弦楽器製作工房」は、もともと民家だった平家を改装した個人工房です。

製作されているのは、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラですが、一般的な楽器店で販売されているものとは違う、バロック時代(16〜18世紀)の弦楽器なのです。

「一般的なヴァイオリンと違うのは、まず構造です。現代ではネックと言われる部分は本体の中に差し込まれているのですが、バロックヴァイオリンの多くは本体には差し込まずに取り付けているだけで、その角度や長さも異なります。弦も羊の腸を使っています。ナイロン弦に比べて少し雑音が入るとも感じられますが、倍音の豊かさが音楽に深みを与えてくれるんです。有名なストラディバリウスも、元来はバロックヴァイオリンでした」

と話してくださったのは、工房の主人・髙倉匠さん。2019年から飯能に工房を構える弦楽器の職人です。

自分の好きなものが、全て詰まっていた楽器づくり

髙倉さんが楽器づくりと出会ったのは、27歳の頃。職人の世界では遅めのスタートでした。

大学を出て、特にやりたいことがなかった髙倉さんは父親の薦めで広告業界へ就職。理由も「何かやりたいことが見つかったときに、つぶしがきくから」だったそうです。

そのまま仕事を続けていたある日、ふらりと立ち寄った書店で楽器製作に関する本を読み、衝撃が走ります。

もともと音楽が好きで、手先は器用、そして古いものを調べるのが好きだった髙倉さんは「楽器づくりには自分のやりたいことがすべてある!」と気づき、イタリアで楽器づくりを学ぶ決心をしたのです。

そしてイタリア・パルマとミラノの学校で5年間楽器づくりを学び、日本で新しくできる楽器製作の学校で教鞭をとってほしいという依頼を受け帰国。

14年ほど楽器づくりを教えていましたが、事情によりその学校が閉校に。そのタイミングで独立し、2019年に飯能で自らの工房を立ち上げました。

「私は清瀬市出身だったので、西武線沿線で場所を探していたんです。飯能にしたのは、人とのご縁でした。もともとこの物件のオーナーさんは、積極的に文化活動の支援をされていた方で、快く譲っていただけたのです。昔の家はいいですね。適度な湿度に保たれるので、楽器がカビたりすることがありません」

床にはこれから楽器へと生まれ変わる板が所狭しと置かれ、壁には大小さまざまな工具が並んでいます。

もちろん、工房内に流れているのはクラシックや古楽。この場所で、バロックヴァイオリンが生み出されているのです。

温故知新の考えから、未だ見ぬ楽器を生み出す

200〜300年前につくられていたバロックヴァイオリンは文献なども少なく、再現するのが困難なのだと髙倉さんはおっしゃいます。ではなぜ、あえて古い様式で楽器をつくっているのでしょうか。

「昔のヴァイオリンは本当によく考えられていて、調べれば調べるほど合理的につくられていたのだとわかります。たとえば、木材の接着には膠(にかわ)を使っていて、温めればきれいに剥がすことができる。合成接着剤だと修理のときに楽器を傷めてしまうんです。他にも、一見装飾に見える部品も万が一ヒビが入ったときに、本体まで届かないような工夫だったり、全ての造作には理由があるんです」

ヴァイオリンが誕生したと言われる18世紀ごろは、まだメートル法が存在せず、地域ごとに長さの単位が異なっていたため、楽器は全てプロポーション(比率)だけを基準につくられていました。

そのため様々なサイズ・スタイルの弦楽器が生まれ「ストラディバリウス」など、現代でも名前を耳にするモデルが誕生したのです。

その後19世紀頃に寸法が統一され、産業革命が起き、同じ形を大量生産できるようになると、品質を安定させることはできましたが、新しいモデルが生まれにくくなってしまったのです。

つまり、現在つくられている多くの楽器は、昔の楽器を模したものなのだそうです。

「文献が少ないということもあり、イタリアの学校でもバロック時代の楽器づくりは学べませんでした。でも先生からは『コピーをつくるのではなく、オリジナルをつくれ』と教わったんです」と髙倉さん。

名器をベースに新しいものをつくっても、絶対にその名器を超えることはできません。

髙倉さんが昔の楽器づくりを学ぶのは、先人の知恵をベースに個々の製作家が、その人ならではのモデルを生み出せると考えるからなのです。

数値化、効率化することで、安定した品質のものがたくさんの人に行き渡るメリットがある反面、感性・感覚などどうしても数値管理から抜け落ちてしまうものがあります。

その大切なものをすくい上げるのが、職人やアーティストの役目なのかもしれません。

最後に、髙倉さんの夢をお聞きしました。

「300年以上生きる楽器をつくりたいです。楽器は売って終わりではないので、修理をしたり演奏者に合わせた調整をしたり。ゆったりした飯能の工房だからこそできることをやっていきたい。もう一つは今のチェロより小さい、横向きで弾く肩掛けチェロという楽器もつくっているんですが、これを全国に普及させて、日本を世界一の肩掛けチェロ先進国にしたい。あと、いつか飯能で取れる素材、西川材を使った楽器をつくってみたいですね。それはヴァイオリンではありませんが。もう構想はあるんですよ」

そう遠くない将来、飯能から新しい楽器が生まれるかもしれませんね!

関連情報

工房名
髙倉匠弦楽器製作工房
所在地
飯能市飯能272
HP
https://liuteriatakumi.com/

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記事を書いた人:
赤井 恒平

飯能生まれ。AKAI FactoryやBookmarkを手がけた、飯能リノベーションの第一人者。地域や人をつなぐ「橋をかける仕事」をしています。

  • 飯能市キーマン
  • AKAI Factory 代表
  • 埼玉県「まちなかリノベ賞」最優秀賞(R2年度)

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