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書いた人:双木 洋介

2021.09.07

はんのう歴史さんぽ(第2回)天狗小僧の手水

はんのう歴史さんぽ
(第2回)天狗小僧の手水

左:隅田川水神の森真崎/歌川広重
右:大はしあたけの夕立/歌川広重

飯能に関する歴史についての記事を読みに来たら、いきなり浮世絵に描かれた江戸の風景を見せられて混乱されたかもしれません。でも実は左の絵の中に、飯能と縁のある風景が描かれています。みなさんどれかわかりますか?

右も有名な広重の浮世絵ですが、左と同様こちらにも飯能ゆかりのものが描かれています。共通点は川の風景ということですが飯能で川といえば飯能河原、言わずと知れた飯能のシンボル的な場所ですが、何か関係するのでしょうか?

ということで、この2枚の浮世絵に描かれている船とは違う形状のもの、実はこれ「筏」でして、これらの筏は材木の運搬をしている風景、その筏を組んで(もしくは上流の山間地域から来た小さな筏を大きく組み直して)隅田川の先にある木場まで運んで行くスタート地点、が飯能河原でした。

飯能の地場材である「西川材」は(江戸から見て)西より川を使って運んでくる材ということで西川材と呼ばれ、荒川支流の山間地域(今の飯能・日高・毛呂・越生辺り)より伐り出された材木を筏に組んで「筏師」と呼ばれる職人が江戸の木場まで運んでいました。その筏の風景は様々な浮世絵に頻繁に登場することからも、ごく日常的な風景だったと思われます。

左:川口の渡し善光寺/歌川広重
右:深川木場/歌川広重

一説には昭和20年ごろまでは見られた風景だったようで、こちらの昭和15年作の木版画にも、まだその姿が描かれています(昭和大東京百図絵 深川区・木場の河筋(新版)六十五景/小泉癸巳男)。

そんな筏師、川も現在の水深より水があったと言われていますが、水が多いときの方が運びやすい=大水とはいかないまでも、それなりに雨が降った後の方が川底の岩など気にせず運べるということで、当然とても危険な仕事だったようです。

そして危険なことに興味を持つ子どもがいつの時代もいるようで・・・昔々、筏師たちに大変可愛がられた子どもがいたそうです。その子は筏師にくっついて一緒に江戸まで川を下るのを繰り返し、そのすばしっこさから「天狗小僧」と呼ばれていました。

しかしながらその冒険心がたたってか、ある大水のときに川で流され命を落としてしまいます。そしてそれを悲しんだ筏師たちによって、飯能河原を見下ろす位置にある観音寺に、天狗のうちわの紋が入った子供サイズの手水が奉納されました。

今はバーベキューの聖地のようになって子どもたちの歓声が多く聞こえる飯能河原ですが(2021年9月現在閉鎖中)、そんな子どもたちを天狗小僧も見守ってくれているのかもしれません。白象で有名な観音寺さんですが、天狗小僧の手水もぜひ探してみてください。

最後にこの筏師たち、山から筏で下りてきて飯能河原で組み替えるため、2人に1人は給料をもらって周辺の川宿や料理屋で遊んでから山の方へ帰ったそうで、河原町周辺もそんなお店が多かったようです。当時の建物まではさすがに残っていないと思いますが、こんな雰囲気のお店もあったかも?と思わせてくれる橋本屋さんやタケマツさんみたいな場所もありますので、ぜひ散歩の際にチェックしてみてくださいね。

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記事を書いた人:
双木 洋介

飯能出身の40歳、都内の設計事務所での修行を経てUターン、2014年に設計事務所を飯能銀座商店街にて開設。飯能銀座商店街の下っ端理事としてお手伝いしながら、飯能ひな飾り展には銀座商店街の担当者として参加。

  • 飯能まちなかを元気にする会・メンバー
  • 飯能銀座商店街・理事

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