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特集・連載
飯能銀座商店街でオープンサイトという建築設計事務所を開いている、双木(なみき)と申します。この連載では、街で見聞きしたディープな歴史のカケラをお伝えできればと思います。連載第1回に何を書こうか迷いましたが、飯能らしく木材に絡んだお話から。
木材に絡んだお話と言っておいて、いきなり変な水槽?水瓶?の写真ですね(笑)。雨水がそのまま流れ込む形になっていて、大体いつ覗いても水が満杯に近い状態で、以前覗き込んだときは金魚もいたような気もします。
これは防火用水(防火水槽)というもので、火事になった際の消火用に設けられています。これは古い物ですので、有事の際にはここからバケツリレーで消火活動が行われることを想定しているものと思われます(ただ容量が大きくないので、出火直後の初期消火用という意味合いかもしれません)。昔はもっといろんな場所にあったとも聞きますし、それこそ東京でも空襲に備えて・・・ということでたくさん設置されていたそうです。
そんな防火用水が、なぜこの場所(現在の仲町18-8付近)にあるのか?
飯能について紹介する際に、一番よく使われる定型句として「木材のまち飯能」があります。古くから林業(と絹)で栄えた街で(江戸から見て)西から川を使って木材を流して運搬したことから「西川材」と言われます。詳しくは、こちら。
時代下って、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道も、最初は主に木材と絹を運搬するために引かれたという経緯もあって、実は飯能駅の周りは木材置場がたくさんありました。現在も、北口の駅前通りから少し外れると広い区画の駐車場やマンションなどが建ち並んでいますが、それは木材置場の時の区画そのままだったりします。
その中の一つに、佐野材木さんという材木屋さんがありました。駅の改札を出て北口へ下りる際、唯一のエレベーターで下りて道に出ると、目の前に1本の桜が目に入ります。この桜の生えている区画が佐野材木さんのあった場所で、今は全て駐車場になってしまいましたが、ほんの1〜2年前まで蔵付きの古民家兼店舗が残っていて、板戸を開け閉めしている様子が見られました。飯能へ遊びに来た人たちも、エレベーターを下りてすぐ立派な桜と古民家が現れるので、写真を撮って行かれる方も多い、ちょっとしたフォトスポットでもありました。
その佐野材木さんのご親戚の方が、例の防火用水のある場所で始めたのが「銭湯」でした。材木屋からは毎日たくさんの木材の端材が発生します。それを銭湯で湯を温める燃料として無駄なく使う。なんだか現代でこそ見習うべき地産地消の形ですね。そして、上記のような火を扱う場所だからこそ用心のために(もしかしたら願掛けの意味でも)これだけ立派な防火用水も必要だったのでしょう。銭湯の建物が取り壊された今でも、まちかどのシンボルのように、この防火用水だけは残されています。
ちなみに上記の銭湯、真偽のほどは定かではありませんが、戦後すぐは横田基地の米軍の兵士が遊びに来るダンスホールだった、なんて話も聞きます(周辺の飲み屋街も含め、確かに横田基地から一番近い繁華街だったのかもしれません)。その後はアパートとして使われたりという変遷を辿って、一昨年取り壊されました。
残っているのは防火用水のみですが、散歩の途中で見かけたらいろんな物語に思いを馳せてみてくださいね。
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